「ローマ人の物語」を読んでいる

最近、「ローマ人の物語」を読んでいる。文庫版で43巻もあるアレ。章ごとに2,3巻くらいまとめて買って、読み終わったらまた買ってを繰り返している。別に最後まで読み進めてやろうという気合いで読んでいるわけではない。面白くて続きが気になるから読んでいる。だからつまらないと感じたらどこかで辞めてしまうかもしれない。いや、なんだかんだ惰性で続きそうな気もする。

私は今まで世界史を通ってこなかった。社会の選択ももっぱら日本史だったし、高校では必須授業で世界史があったのだが特に惹かれるところはなかった。何をやったかもあまり覚えていない。たぶん近世くらいからやってたのかな、フランス革命とかアヘン戦争とかはなんとなく扱った覚えがある。なぜ世界史に興味を覚えなかったのかというと、話題が世界のあちこちに行って落ち着きがないからだ。日本史なら日本で起こったことに範囲が限定されていて安心感がある。しかし、世界史というと、何かエポックメーキング的な出来事が起こるたびに話題が別の土地に移る。そもそもあれって取り扱う出来事とか順番をどういう基準で選んでるんだろうか。その時代その時代で世界で一番ブイブイいわしてた地域の重要な出来事だけを選んでるんだろうか。そういう意味だと世界史は切り抜き動画に似ている。コンテキストを無視して都合の良いところだけを切り抜き、それを見てあたかも世界の全部知ってますみたいなふざけた学生が生み出されるのだ。ああ、日本史を選んで良かった。 なお、ここまでの話は独断と偏見に基づいて真面目に受けてもいない世界史を腐しているだけなので本気にしないでもらいたい。

閑話休題。私がローマ人の物語を読み始めたのは古代ローマの知識をつけたかったからだ。西洋の古典的な本を読んでいると、必ずと言っていいほど古代ギリシャとか古代ローマの故事とか人物が引かれている。日本の知識人達の教養が漢籍だったように(今はそんなに当てはまらないと思うが)、西洋の知識人達にとっての教養は古代ギリシャ、ローマの地中海世界なんだろう。古代ローマは民族的にラテン系で、ゲルマンとかアングロサクソンとかは蛮族扱いされていたわけだが、まあそんなことはお構いなしに広く西洋、というか欧米世界の教養になっている。東アジアの辺境な島国の人間が読むであろうことは意に介さずに、彼らは古代ローマ、ギリシャの話をし出すのだ。これではあまりに寂しい。文章は追えても芯から理解できている気がしない。そこで、私も彼らと少しは目線を同じくするため、歴史だけでも追ってみようと思ったのだ。

とりあえず、5巻まで読んだ。1,2巻が「ローマは一日にして成らず」という題で、ローマの神話時代的な発祥から、帝政ローマ時代、近隣の民族を取り込んで徐々に大きくなっていく過程を描いている。北方にいて蛮族なのにやたら強いガリア、技術に長けているエトルリア、地中海一の先進国であり選民意識の強いギリシャ、新興国であり、支配した地域を「ローマ化」して取り込んでいく開放的なローマ。各地域ごとにキャラが立っていて非常に面白い。これについて一巻の冒頭に目を惹かれた記述がある。

知力では、ギリシア人に劣り、 体力では、ケルト(ガリア)の人々に劣り、 技術力では、エトルリア人に劣り、 経済力では、カルタゴ人に劣る

のがローマ人であると、ローマ人自身の記述にあるらしい。そんなローマ人がこれらの地域を支配下に置いていくのだから面白い。

3,4,5巻は「カルタゴ戦記」と題されている。正直、展開が綺麗すぎてこの時代がこの本の、ひいては古代ローマの「サビ」の部分なんじゃないかと恐れている。この後の38巻でここより面白くなることはあるのか不安になる。古代ローマとカルタゴ、スキピオとハンニバル。古代最高の名将が会戦で堂々とぶつかる展開が熱すぎる。イタリアに侵入したハンニバルに対して持久戦術を主張して「ローマの盾」と言われたファビウス、逆にハンニバルを散々追撃して苦しめて「ローマの剣」と言われたマルケッルス、サブキャラ(と言っては失礼だが)も魅力に溢れている。イタリア半島を中心に戦っていた時とは違い、戦に象が出てきたり、ヌミディア騎兵とかいう最強の騎兵が出てくるのも面白い。しかもハンニバルなんかは象を連れてアルプス山脈を越えてくるわけだからやばすぎる。

おそらく、西洋の知識人達は、政治の場においても戦場においても、自由闊達で生き生きとしていた古代ローマに憧憬の念を抱いているのだろう。もちろんそれは文字を通してしか伝わっていないために実態とは乖離したイメージ、一種の懐古主義、思い出フィルターによる補正に因るところも大きいだ。しかし、そうした懐古に浸れるのも後世に生きる我々の権利だろう。ガラケーだってエモいと言われる時代だ。私も彼らの懐古主義に付き合い、少しでも目線を同じくして本を読みたい。