渡良瀬川を渡れ

兼ねてからデザインしていた4連休にどんな予定を入れようか。去年は旅行を予定していた日に体調不良になり、最近はどこにも行けていなかった。せっかくだからどこかに行きたい。行くにしても関東近郊がいい。電車の運賃が片道2500円を超えるようなところなら、青春18きっぷとかその類の特殊切符を使った方がお得だからだ。ということで、私は栃木県に行くことにした。どうやって決めたかはもはや覚えていないが、場所は足利と宇都宮、2泊3日の予定を立てた。

さて、足利の観光は非常にコンパクトであり、駅周辺に足利学校、鑁阿寺、織姫神社、足利美術館といった観光スポットが密集している。これらはせいぜい2時間もあれば十分に回れるので、一日観光を楽しむにはあしかがフラワーパークだとか、少し離れた観光地も含めないといけない。そんなことは知る由もない私は、一通りのスポットを周り途方に暮れていた。ホテルを先に取ってしまった手前、ここであと何時間も過ごさねばならず、ましてや一泊しなければならないという絶望に悲嘆していたのだ。最初はホテルのキャンセルも考えた。いや、実際にした。帰ろうと思った。しかし、2日目の宇都宮のホテルはキャンセル料全額負担であったため、泣く泣く諦めた。金をドブに捨てるくらいだったら耐えた方がマシだ。そんなこんなでキャンセルした一日目のホテルを取り直すというアホらしい作業を終えて、チェックイン時間の15時早々にホテルに向かうことにした。 それにしても女性観光客の多いことだ。着いてから気づいたのだが、ここ足利ではどうやら刀剣乱舞とのコラボを行なっているらしい。なんでも山姥切国広というおっかない名前の刀が公開されるとかされないとか。織姫神社は縁結びの神様として有名だが、鳥居の前や、長い階段を上り切った境内から見える眺望を、キャラクターの手乗りぬいぐるみと一緒に撮っている人々が散見された。

織姫神社の境内より。関東平野が一望できる

先述の問題から精神的に疲弊していた私だが、なんだか不思議と勇気づけられる気がした。人間の趣味嗜好によるクラスター化が進む昨今、普段関わらない属性の人々の人生の楽しみ方を知ることができるのは貴重だ。彼/彼女らと邂逅できただけでも十分にここに来た価値はあるのだ。近くの売店では、おばちゃんが慣れた様子で「刀剣の人〜」と呼び込みを行なっていた。観光地に生きる人々はたくましいものだ。 その後、部屋にチェックインし、持ってきた厄介な哲学書をうだうだしながら何度も読み返し、分かったような図をiPad上にお絵描きしたりしていた。そんなこんなで日は暮れた。家にいる時と変わらないように見えるかもしれないが、環境を変えてこういうことをするのも一人旅の楽しみであることを強調しておきたい。

小腹が空いたので夜の街に出た。まだ数時間の滞在だが、少しだけ周辺の地理が分かってきた。非常にシンプルである。渡良瀬川を境にこちら側に宿と東武足利市駅があり、向こう側にJR足利駅と観光スポットが点在している。出る前にGoogleマップで周辺の飲食店を調べたのだがめぼしい店が見つからず、ひとまず渡良瀬川を渡って観光地周辺を歩いてみることにした。渡良瀬川にかかる何本かの橋のうち、田中橋なる橋を歩く。歩いているうちにふと、えも言われぬ感情に襲われた。これはあれだ。数年前に友人と郡上八幡に行って夜歩きをした時と同じだ。内陸の山がちな地形に流れるオアシスのような清流。地理的条件は全く同じだ。人間の営みとは別として、同じような土地には同じような空気が流れるのだろう。そうしてあの時の思い出を咀嚼しつつ夜の匂いを嗅いでいるうちに対岸に着いた。

田中橋より。上流側にかかる中橋はライトアップされている

街の中心部は、車の往来は激しいが、人はほとんどいない。昼間にいた刀剣女子達の影も形も見えない。通り過ぎた居酒屋の看板には刀剣棒、刀剣丼といったメニューが並んでいた。全く、本当に観光地の人々はたくましいものだ。車の行き交う大通りから、一歩入った商店街のような通りまで満遍なく歩いてみたが、やはり寂しいものだった。店はほとんど閉まっており、昭和時代から手をつけられていないようなレトロな廃墟も散見された。その中で、ある中華料理屋に出会した。空いている店も少なかったので、ここにすることにした。 入店。入り口付近に座っていた常連客らしき人に、誰だこいつという目で見られた。これが地方の個人店の洗礼である。しかし、オーナー夫婦らしき店員さんは非常に温かくて助かった。頼んだのはとりからラーメン。私が幼い頃に好んで食べていた、デニーズのからあげラーメンを彷彿とさせるメニューだ。注文すると、すぐにフライヤーから心地よい音が響いた。注文から5分程度で着丼。 これといって特徴はない(といっては失礼だろうか)鶏ガラ醤油のスープに、わかめ、ネギが乗っており、手前にとんかつのように切られたもも肉唐揚げがどかっと乗っていた。

とりからラーメン(900円)

これが900円、都内であれば1200円で唐揚げがせいぜい3個も乗っていれば関の山だろう。私が食べている間に、先客は帰った。やはり皆常連客であったようで、帰り際にオーナー夫婦と仲睦まじく会話していた。私は1mmも関係ない外部の人間であり、完全なアウトサイダーなのだが、とても微笑ましかった。私の会計で彼らの会話が変に中断されたりしないように食べるペースを調整した。もはやスープからはネギのカケラすらも無くなっていた。全員が帰った後に会計を済ませた。1000円払ってお釣りが100円、これでお釣りが帰ってくるのは得した気分だ。帰り際も非常に気持ちよく送り出してくれた。「ありがとうございましたー!」の声に会釈を返しつつ、店の引き戸を閉めた。すると、入る時は「商い中」と表示されていた看板が、「本日閉店」に変わっていたことに気づいた。本日、閉店。今日の締めくくりには最適な言葉だ。なんだかんだ良い一日を過ごすことができた。

私が2日目に宇都宮餃子を食べた後、やることがなくなったために結局ホテルをキャンセルして帰宅したのはまた別の話である。