山梨というのは東京にほど近く、その割には田舎という不遇な扱いを受けている。そう思っていたのだが、考えを改めた。確かに、東京と山梨には大きな壁がある。それは地理的に接しているとか、電車が直通しているとかそういう次元ではない。まず東京と直通している中央本線大月行き。この電車の間隔は、一時間に一本だ。首都圏生まれ首都圏育ちの価値観として何も考えずに旅程を組んでしまったのだが、後からこれに気づいて三鷹駅で30分ほど待ちぼうける羽目になってしまった。一時間に一本などは、私が経験した中では平日昼間の鶴見線と同じ間隔だ。特に時刻表も見ずに駅に行って、入線してきた電車に乗るという都会人的な生理的感覚はここでは通用しないのだ。そして東京と山梨を隔てるもう一つの壁。それは今、私の前の車窓に現前している。試しにGoogleマップで八王子から西に目線を移動してみてほしい。八王子以東では白い部分が圧倒的なのだが、八王子以西、山梨に入るところでは、圧倒的な緑の中を縫うようにして心細い白い線が伸びており、あるいは伸びていないところでは山中を貫くかのように路線が敷かれている。この山の深さこそ山梨と東京を隔てる壁だ。高尾山のように手なづけられた(と言っては失礼だろうか)、自然とは違う、深山幽谷の世界である。車窓を見て驚いた。山の中に山が、幾重にも重なっている。山並みという言葉があるが、山波と形容した方が適切なように思えるくらい、海岸線に押し寄せる波飛沫のように山の稜線が這っている。そしてその下に心細く民家が点在している。圧倒的な自然の前に、矮小さ故に我の存在を見失う、没我の世界である。よく田舎の人間は頑固とか保守的とか、そういったステレオタイプが存在するが、これを見るとなんとなく直感的にそういう観念が想起された。今この瞬間を鳥瞰してみても、この列車全体を含めても、大きな自然の中に引かれたほんの短い線分に過ぎないということが容易に理解できる。これが山梨に入る時に見る風景だ。緑色の広葉樹林の中に、藤の花だろうか、ポツリポツリと斑点のように紫色が投影されている。途中で藤野という名前の駅を通り過ぎたが、ここら一帯であればどこにその名前を付けても遜色ないだろうという景色だった。列車は大月を終点とするため、一旦下車。次の甲府行きまでは大体40分ほどの空き時間がある。この接続の悪さも、先ほど言った壁というものの一端を担っていると言えるだろう。そんな文句を言うなら特急かいじを使えとかそういう話はやめていただきたい。私はあくまで普通列車の貧乏旅行の話をしているのだから。それに、ちょうどお昼を回った頃合いだったので、昼食を取るのにはちょうど都合が良かったのだ。大月は名前を聞いたことはあったのでそれなりに大きい街だと思っていたのだが、そうでもなかった。駅舎を出てみると周囲四方を山に囲まれ、その心もとなく落ち窪んだ平地に駅があるというだけなのだ。駅を出てすぐに見えるのは山に向かっての急坂だ。
甲府方面、富士山方面への乗り換えハブとして機能している場所だと言えよう。富士山でも見ようと周囲を散策、富士山ビュースポットなる表示があるから必死にうろついてみたのだが、ロクに見えたものではなかった。第一、方角もよく分からない。散策は早々に切り上げて、テキトーに店を選ぶことにした。選んだのは駅の向かい側にある街中華らしき店。店に入ると先客はおらず、店員らしき人が賄いを食べていた。メニューも特に変わったところはなかったのだが、一つだけ、大月餃子なるものがあった。この奇怪なる餃子は見てくれ下膨れのように太った餃子であり、その実は中に餅が入っているという代物である。ごま油を使用しているようで、一人で五個も食べればそれなりに腹の膨れるメニューだった。後から調べたのだが、大月全体の名物というよりは、この店が単独でそのように売り出しているメニューらしい。メインで醤油ラーメンも頼んでいた私は、満腹になりほうほうのていで駅へと向かった。
そして甲府へ。ここは...私が今まで見てきた中のどの街にも似ていなかった。まず以て、甲府駅に入る車窓から甲府城跡の石垣が見える。ここまで現在の街の中心部と過去の街の中心部が、それも過去の遺構を残したままで存在する所など他にあるだろうか。周辺を観光してみて知ったのだが、過去の甲府城をちょうど左右に分けるように中央線の電車が通っている。なぜそこまでしてこの土地に執着する必要があったのだろうか。今思えば話好きそうな観光案内所のおじいさんにでも聞いてみるべきだった。とにかく、ここが甲府の、そして山梨の中心部だ。群馬のように前橋が県庁所在地だけど高崎の方が発展していて〜、みたいな事情はない。正真正銘、行政、経済の中心地がここ甲府である。しかし、やや失礼な表現であることは承知の上で、それにしてはなんとも寂しい。駅ビルはあるが、他に大きい建物といえばヨドバシカメラとかスーパーくらいである。それよりも甲府城の天守台の方が高い始末だ。写真を撮ってみたのだが、これでなんとなく分かるだろうか。
歴史的史跡、中央線、ヨドバシカメラ。これらが渾然一体となって甲府駅の風景を作り出しているのだ。天守台に登って四方をぐるりと見渡してみるが、先ほどの答えはもう出たと言っても良いかもしれない。四方を山に囲まれた甲府盆地においては、現在においても過去においても発展する場所の条件は一致せざるを得ないのだ。それにしてももう少しずらす努力はできなかったのかという疑問は残るのだが。その後は武田神社など典型的な観光スポットを周り、ホテルへと向かった。
2日目、ここは帰るだけで特に語るべきこともないのだが、一つだけ、身延線について語りたい。私は数週間前に駅メモというアプリを始めた。これは簡単に言うと色んな駅に行こうね!というアプリなのだが、せっかくなのでこのアプリのマップを埋めるために身延線という路線を使って帰ることにした。これは甲府と静岡の富士間を繋ぐローカル線である。どれくらいローカル線とかいうと、駅のほとんどは無人駅で、さらにはICカードが使えない。私はこの事実に甲府駅で気付き、切符を買い直して再入場したくらいであった。そしてなんとも恐ろしいのが乗降システムである。これは今になっても全く理解できない。まず私のホテルの最寄駅は身延線の無人駅だった。その場合、甲府で切符を買い、出る時に車掌に切符を渡せば良い。では、二日目に富士に向かう際はどうするか。出発駅は無人駅、かつ券売機すらも存在しない。調べたところ、その場合は車内で整理券を取り、それを降りる駅で精算時に渡せば良いとのことだった。最寄りの無人駅から乗車。(ちなみにその駅の名前は国母駅だった。あの「反省してまーす」の国母氏の先祖もこの辺りの出身だったんだろうか。) 整理券を取ろうとしたものの、発券されない。焦って近くの青年に整理券の取り方を聞いたが、曰く「俺の時も出ませんでした」とのこと。一体天下のJRというものがどうなっているのだろうか。そのまま整理券を持たずに不安のまま乗車。青年は数駅先で降りて行った。乗っていて分かったことだが、他の駅では乗車時に「整理券をお取りください」とアナウンスがあり、整理券が発行されている。ではなぜ私の時には発券されなかったのだろうか。反省していたのだろうか。そんなこんなで富士駅に到着。山梨にいる間はほとんど富士山が見えなかったのに、静岡側に近づくにつれて、綺麗に富士山が見えた。こう言っては無用な火種を生むであろうか。さて、何より精算。富士駅に降り、駅員さんに「国母から乗ったんですが...」と伝えた。整理券もないので証明もクソもない。しかし駅員さんは「国母からなら...1520円ですね」と普通に精算を済ませた。一体私の気苦労はなんだったのだろうか。これで済むなら完全な自己申告制で、料金を偽ることだってできる。入場記録も何もないのだから、時間との整合性を確認するといったこともできない。そこは大らかな田舎のシステムが生きているのだろうか。しかし、この対応のせいで、結局私は整理券が発行される条件というのを今に至っても理解できないままでいる。もう乗ることはないだろうが、仮にもう一度乗る機会があればまた予習していくハメになる。ここでは書かなかったが、乗車位置や降車位置が制限される場合があるなど、とにかく条件分岐が多いのだ。ローカル線に乗る時は本当に気をつけようと、そういう教訓めいたことを得られた旅だった。旅は道連れというが、一人旅こそ多少間違えても「反省してまーす」というくらいの精神性で臨んだ方が良いのかもしれない。