「罪と罰」を読んだ

人生で一回は読んでおくべきかなと思い、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ。実は高校生の時にも挑戦したことはあったのだが、上巻の途中で見事に挫折した。図書室で借りて読んでいたのだが、上巻を返却した後に別の本を借りた時、司書の先生に「下巻じゃないんだ」とボソッと呟かれたことを覚えている。まんまと挫折したことを読み取られ、非常に悔しい思いをした。大人になった今度こそはと思い、2週間ほどかけて読破した。新潮文庫の訳で読んだが、上下巻合わせて1000ページ越えというなかなかに重厚な小説だ。タイトルは非常に有名だが、読み通したことがある人間はなかなかいないだろう。語ろうと思えば登場人物一人一人について語れるほどよくできた小説なのだが、今回は全体感と気になった人物だけをピックアップしたいと思う。

全体感

全体として、私が高校生の時に挫折したのも納得の読みにくさがある。まず、理由の一つとしてはロシア人の名前にある。例えば、主人公の本名は「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」だ。小説の中の地の文ではラスコーリニコフと書かれているのだが、これが友人や親類の人間になると「ロージャ」と読んだりする。ロシア人には本名の他に愛称が存在する。また、その愛称も一通りではない。登場人物に「ソーフィヤ」という名前の女性が出てくるが、「ソーニャ」とか「ソーネチカ」と呼ばれたりする。もちろんこれはロシアでは当たり前のことなので、いちいち説明はされない。なので、この原則を理解していないと、急に新しい登場人物が出てきたのかと勘違いしてしまう場合がある。また、名前の呼ばれ方も関係性によって異なってくるので、ラスコーリニコフが「ロジオン・ロマーヌイチ」と呼ばれることもある。しっかりと登場人物の本名を覚えておかないと、誰のことを指しているか分からなくなって話の流れが掴めなくなる。また、日本人には全く馴染みのない名前であることもこれに拍車をかけている。私も読んでいる途中に登場人物が誰で、どんなキャラかわからなくなったので何度かネットで検索するハメになった。まずこれが第一の関門だ。
第二に、登場人物の話が非常に長い。序盤にマルメラードフという酔っ払いのおっさんが居酒屋でラスコーリニコフに話しかけるのだが、これがとんでもない長さだ。これ以外にもラスコーリニコフの独白、心情描写だったり、母プリヘーリヤからラスコーリニコフへの手紙など、とにかく長い。これはロシア文学に特有のものなのか、あるいはドストエフスキーの表現手法なのかはよく分からない。しかし、この長さにうんざりして読むのを諦めたという人も多いのではないかと思う。
こうした読みにくさがある作品なのだが、それでもダレることなく最後まで読み通したくなる面白さがある。無駄な登場人物がおらず、序盤に名前だけ出てきた人物が後半で重要な役割を持って登場することがある。キャラクターもそれぞれ個性が立っていて、どこか自分の身の回りにもこんな人間いるなーと思わせられる。主人公は基本的に最初から最後まで病的で頭がおかしいのだが、難解でありつつも丁寧な心理描写によって、彼の行動原理に納得してしまうような変な感覚が湧いてくる。他の小説では味わえないような独特の読後感がある。次に、気になった各キャラクターについて書いてみる。

ラスコーリニコフ

この物語の主人公。これは読んでいなくても知っている人が多いかもしれないが、金貸しの老婆を斧で殺害する。その動機もなかなかに複雑で、最初は金銭的困窮の末に金目当てでやったように思えるのだが、老婆を殺した後に財布やら金目のものを盗んでおきながら、捜査が始まると証拠隠滅のために、それらを使いもせずに大きい石の下に隠した。結局、彼はこの犯行では一円も得していないし、ただ単に罪を背負っただけになる。これだけを見ると全く動機が謎だ。金目のものは換金すると足がつくにしても、少しくらい財布の中身に手をつけてもいいだろう。しかし、後半になるとこれも明らかになる。ラスコーリニコフが大学時代に書いた論文で、非凡人は凡人を殺しても良いというようなことが、ナポレオンなどを引き合いに出して書かれている。彼はこの理論に則り、自分が非凡人であるかを測ろうとしたが、結局は罪の意識に苛まれてソーニャに罪を告白することになり、さらには自ら出頭することになる。持ち前の頭脳や法務官との心理戦で上手く立ち回り、彼への疑いは晴らされたところでわざわざ出頭しに行ったのだ。出頭のシーンも見方によっては惨めで、警察署に行くも自首できずに帰ってきたが、妹が警察署から出てきた彼を見ていることに気づき、ようやく自首した。気が狂っているといえど、犯行後にわざわざ警察の人間に言わなくても良いようなことを言ったり、ソーニャに罪を告白したりと、側から見ても明らかに凡人じみた行動ばかりしている。裁判ののちに彼はシベリアでの強制労働に従事することになったが、そこに付き添ったソーニャとの将来を夢見てハッピーエンド、という具合だ。おそらく服役が終了したのちにはシベリアで仲睦まじく、何も起こさずに暮らすことだろう。いっときの理論と思想で犯罪を犯してしまったものの、行動を見ていると凡人以外の何者でもない。

ラズミーヒン

この小説の登場人物は一癖も二癖もある人間ばかりだが、彼についての評価はほとんどの読者で一致すると思う。とにかく、ただ単に、ひたすら良いやつだ。ラスコーリニコフの大学時代の唯一の友人で、久々に訪ねてきたラスコーリニコフに、金に苦労しているだろうと思い翻訳の仕事を紹介したりする。(結局断ったのだが) また、ラスコーリコフに捜査の手が及んだ時には、彼を弁護するために警察署に乗り込んだりする。ちなみに、彼が犯人が誰か推測している場面があるが、大半の人間がペンキ屋を疑っていたのに、彼だけはペンキ屋を擁護していたというなかなかの頭脳も発揮している。良いやつで終わるわけではなく、頭脳も明晰だ。またある時には、ペテルブルグに上京してきたラスコーリコフの母と妹とラスコーリコフの間を仲立ちしたりと七面六臂の大活躍をする。他の人物からは何も考えていない単純なやつだと評価されている場面もあるが、ここまで徹頭徹尾良いことしかしない人物も珍しい。途中で裏切るとかの急展開もなく、最終的にラスコーリニコフの妹ドゥーニャを嫁にもらっている。物語の回し役、かつこの陰鬱な小説のオアシスのような人間だ。

ソーニャ

なかなか捉えるのが難しい人物。最初に書いた酔っ払いのマルメラードフの娘だが、家庭を助けるために売春婦として身を売っている。ラスコーリニコフはマルメラードフの話を聞いて、会ってもいないうちから彼女の存在に非常に感銘を受けている。彼の妹のドゥーニャが金持ちのおじさんと結婚することにラスコーリニコフは反対したのだが、おそらくその陰ではソーニャの存在を思い浮かべていたに違いない。金のために身を売っているソーニャと、これからそれに近いことを行おうとしているドゥーニャ。ただ、ラスコーリニコフはこのソーニャに異常な執着を見せている。というのも、金のために身を売った罪深い女だと評価していながら、それでも家族のためを想って自殺することなく踏みとどまり、健気に生きている様に神聖さを感じているからだ。無心論者のラスコーリニコフが、母と妹と一時的に絶縁して、頼った先がソーニャだった。明らかに自分の罪を自分で抱えきれず、神父に悔恨するかのように犯行を自白した。物語の終盤近くでは、彼は足繁くソーニャの家を訪れている。ここでの会話シーンではラスコーリニコフ自ら犯行の動機などを語っており、この小説を読み解く上でかなり重要だ。そんなソーニャは彼の罪を受け止めて最終的にはシベリアまで彼と共にした。彼にとっては本当に救いの女神のような存在だ。ちなみに囚人たちの間でも人気は高い。

終わりに

他にもスヴィドリガイロフとかルージンとか面白い人物がたくさんいる。スヴィドリガイロフはかなり謎の多い人物で、周りの人間にひたすら金を施した挙句拳銃自殺する。ルージンは貧乏な娘とわざわざ結婚することで恩を着せて自分に服従させたいというとんでもない性癖の持ち主だが、やらんとしていることはわからなくもない。このように魅力的な人物が多く登場し、どの登場人物に注目するかでいくらでも再読の味がある。古今東西で名作と言われている所以がよく理解できた。全体を通して鳴り響く陰鬱な重奏低音と、その中で健気に自分の考えを持ちながら生きる人々。ロシアの過酷な冬を思わせる作品だった。