自然公園にほど近い、せいぜい5分も歩けば着くような場所に貸店舗があった。よほど人の出入りが少ないものと見え、ある時はラーメン屋、ある時はステーキ屋、またある時にはメキシコ料理屋など、借主は入れ替わり立ち代わりと言った具合だった。その店が面している通りは駅から周辺の住宅地へと続いており、人の往来もそこそこにあった。しかし、店舗の間口の狭さか、あるいはエメラルドに少し青みを加えたような、およそ飲食店に見えないような外壁の色からか、それがどのような店になろうが、客はなかなか集まらないものと見えた。しかし、通りを歩く人々はこの店に一応は興味があるものと見え、今度はどんな店になるかと、足早に通り過ぎつつも、興味本位で横目で一瞥するといったところだった。
私が普段のようにその通りを歩き、他の人々に倣いその店をちらと見ると、月見やらたぬきやらのうどんのメニューが書かれてあった。なるほど今度はうどんかと納得したものの、帰りにまた見ると、今度はメニュー表にカレーが書かれていた。ぐいと顔を向けて、いよいよ本格的にその店を見ると、午前の数時間はうどん、午後の数時間はカレーと、時間を分けて間借りしているようだった。また、ある時には駅の階段を上ったところで、インド人かネパール人か、おそらくこのカレー屋のオーナーらしき人物が、あのメニュー表を掲げて宣伝しているのを目にした。やはり集客には苦労しているものと見えた。さらにあるときに通りを歩くと、その店の前であの店主が、入り口を塞ぐようにして立っており、いらっしゃいませと言っているのを見た。私の地元のカレー屋でもこのように客寄せをしている光景は見たことがあるし、これが彼らなりのやり方なのだと納得した覚えがある。
その日は夕立が酷く、帰路を急ぐ人々の足は早くなっていた。私もその中の一人として、いそいそと自宅のアパートへ向かっていた。その折、傘を少し上げてあの店を見ると、やはりあの店主が立っていた。店の軒は心許なく、店主もカールのかかった前髪を濡らしながら立っていた。私はこの光景になんとも言えぬ気持ちが込み上げ、足を止めた。
「やっていますか?」「はい、いらっしゃいませ。」店主は入口の扉を開け、私を招いた。店内は細長く、銀色のカウンターに4脚の足の高い椅子が並べられており、奥には厨房があるものと見えた。私は入り口から最も近い椅子に腰を下ろし、メニューに目を通した。プレーン、シーフード、バターチキン。およそ想定通りのメニューが並んでいた。ここで初めて店の名前がわかったが、おそらくそれはこの店主の名前から取ったものだった。店主はカウンター越しに私の向かい側に立ち、じっと私を見つめていた。どうにも居た堪れなくなった私は、すぐにバターチキンカレーを注文した。それを聞いて店主は満足そうに注文を繰り返し、厨房の奥へ引っ込んだ。そしてすぐに運ばれてきたのは、これまた銀色の皿に盛られたサラダであった。こういう店の例に漏れず、上にはオレンジ色のドレッシングがかかっていた。一緒に運ばれてきたフォークで少し苦労しながらそれを食べ終え、カレーが来るのを待っていた。それから5分ほど経っただろうか、カレーが運ばれてきた。注文する時には気づかなかったが、こうした店は普通ナンとライスを選べるものだが、出てきたのはカレーライスだった。この狭い厨房ではナンを焼く設備も難しいのだろうかと、素人なりに邪推を巡らしつつ、カレーに手をつけた。店主は、今度は入り口から最も遠い椅子の向かい側に立ち、手持ち無沙汰といったように、食事中にこちらを何度か見ていた。私はそそくさとカレーを食べ、会計を済ませた。店を出る際に「ごちそうさまです、美味しかったです」と言った。私は、普段外食をしてもついぞそんなことは言ったことがなかった。恐らくそれは、駅の前で必死に宣伝していた、店の前で雨に濡れながら客寄せをしていた店主へのねぎらいの感情から出るものと思われた。店主はそれを聞いて微笑を浮かべ、「ありがとうございました」と言った。そして帰る私を見送りつつ、またいつも通り入口の前に立った。それから何度もあの通りを歩いたが、二度とあの店主を見ることはなかった。一ヶ月ほど経った後、あの店からメニュー表の掲示が消え、また空き店舗になっているのを見た。